福領寺はこんなお寺
由緒と沿革
Description
『開創以来四百余年 今に伝えよ 法のともしび』
福領寺は徳川家康の江戸幕府開府と同じ慶長8年(1603)、現在地に創建しました。正しくは、「東海山深廣院福領寺」と言い、当時の雄琴城主和田秀純氏の霊を弔う寺として建立されたようです。開山は美濃(今の岐阜県)の出身佐久間運導和尚で、壮年を過ぎ無常を感じて諸国を遍歴し、雄琴の地に止宿。仏堂を建て、念仏道場としたのが始まりです。
開創以来400年余の歴史を有しますが、本尊阿弥陀如来はそれ以前にあった天台系の寺から受け継いだものと思われます。寺坂を登った森に寺院跡があり、そこから仏具が出土しています。また、織田信長の比叡山焼き討ちによって、三千坊あった天台の寺がことごとく焼けたことは有名です。恐らくはもと天台寺院であったのが付近一帯の焼き討ちで消失し、その後浄土宗に改宗して今に至っているようです。当山では過去何度か焼けたりして、詳しい資料が残っていません。
本尊阿弥陀如来は国重文指定
本尊・阿弥陀如来は、慈覚大師作と伝わる平安時代の仏像です。法然上人とほぼ同時代の1170年前後の造立と判明し、平等院鳳凰堂の阿彌陀佛を彫った仏師定朝の作風に近く、定朝の流れを汲む名のある仏師の作と伝わります。明治42年から昭和25年まで旧国宝で、以降国重文に指定されました。本山級の大きな寺では、国宝・重文といってもそう珍しくはないのですが、一般のお寺で「国重文」と言うのは貴重な存在です。
市の教育委員会も、「肉髪は高く両頬からあごにかけての丸いふくらみ、流麗な衣文の様式から平安時代後期(藤原時代)の作とうかがわれる。総体に均整の取れたまとまりのよい像」と紹介しています。まさに福領寺を象徴するあらたかな本尊さまといえましょう。像高は87㎝、本体は漆箔(表面に下地を施し漆を塗り、その上に金箔を押す技法)、頭部は螺髪、肉髻を調表し、白毫に水晶をはめてあります。
改元記念に阿弥陀経一巻の写経奉納頂きました
浄土宗の根本聖典のひとつ『佛説阿弥陀』の写経を東京の知人の方より、平成から令和元年に改元したのを記念して、5月に写経一巻を寄進奉納頂きました。一旦本尊前にお供えし、その後裏堂の納骨・位牌堂の写経奉納箱に奉納しています。
ご本人の許可を得て一度、外陣にお経の全文を広げて動画撮影しました。2メートル余の長さ、一文字ごとに心のこもった経文を流麗な筆使いで納経下さり、ありがたいことです(-∧-)合掌
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